翻訳
ブランショ論
ブランショ自身の論考
- L'Ecriture
du desastre,
Paris, Gallimard, 1980, pp. 214-216.
目的論的・終末論的次元で思考されるのではない<メシア>。
到来するものへの「来て、来て」[<<Viens, viens.>>]、そして、「はい、はい[ウィ、ウィ]」[<<Oui,
oui.>>]としての、デリダにおける<メシアニズムなきメシア的なもの>[le messianique sans
messianisme]。
デリダがこの思考を引き出した参照元の一つであるブランショのテクストをここに加えておくことにしました。役立てていただければ幸いです。誤訳の指摘やご意見をどうぞお寄せください。
- L'Ecriture du desastre, Paris, Gallimard,
1980, p. 219.
メルヴィル『バートルビー』の中で代書人バートルビーが繰り返す言葉、<< I would prefer not to >>をめぐる短い断章。この言葉をきっかけに掲示板で議論が盛り上がった(00/08/13-)のを記念して。(00/08/19)
- << L'enchantement de
Melville >>, Paysage dimanche, Les Livres, par Maurice Blanchot, No. 27, 16 decembre 1945, p. 3.
ブランショは、すでに1945年にメルヴィルの『バートルビー』に注目していました。『災厄のエクリチュール』(1980)に至るまでたびたび立ち返ることになるこの短篇に、この時点で何を感じていたのでしょうか。のちの凝縮された文体とは異なる、週刊紙の書評にふさわしい、しかしすでに確実にブランショのものである明晰な文体で書かれています。35年後に発表された上掲の断章へのリンクという意味も込めて、ここに翻訳を加えます。どの本にも再録されていない書評です。(02/07/08)
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